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2012.03.30 Friday
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    母の記録15

    2012.03.30 Friday 09:28
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      「眠ったままの状態でも、生きていてくれさえいればいい。」


      「うん。そうだね。生きていてくれれば。」



      その日も、父と母のお見舞いに行った帰りに話していた。

      母は相変わらず眠っていて、でも私達の話しかけに答えるかの様に、指を動かしていた。



      「きっと、私達の声は届いているんだよ。」


      「また明日来よう。」



      明日は来なかった。



      入院から15日目の朝1時頃。


      ソミド〜ソミド ♪ ソミド〜ソミド ♪


      病院からの着信音であるメロディーがなる。嫌なメロディーだ。

      深い眠りについていたにもかかわらず、飛び起きる。着信音だけで起きれる位だから眠りは浅かったのかもしれない。




      その時が来てしまったんだ。




      すぐにそう悟った。

      電話にでると、案の定「危ない状態です。すぐに来てください。」と。

      父と息子を起こし、親戚に知らせる。

      いつかはこの日が来るんだと覚悟していたせいか、この時はすごく冷静でかなり頭はしっかりしていたと思う。




      病院につくと、既に親戚が集まって泣きながら母に話しかけている。

      また来るのが最後になってしまったとそんな事を思いながら病室に入る。

      お見舞いに行くといつも必ずしていた、母のモニター確認。血中酸素濃度の量、血圧、心拍数。

      先生に

      「血圧が下がったら危険だと思って下さい。」

      以前、そう言われた事を思いだす。


      母の血圧はかなり低下していた。血中酸素濃度も60に。





      あぁ、もうダメだ。





      モニターを見て、母の最期が近づいている事を強く思った。



      「お母さんの傍に!早く!」

      叔母さんにそう言われ、すぐに母の元に行く。

      母の顔を見てゾッとした。




      母だけど、母じゃない。




      うっすらと開いた片目が空をボンヤリ見つめている。



      はぁーーー はぁーーーー


      と、深くゆっくりした呼吸を繰り返している。


      まるで眠るかの様に死ぬ。


      そんな表現をよく耳にするが、母の場合そんなキレイなものじゃなく

      見ていて辛くなく様な姿だった。


      母の手を握る。



      冷たい。



      声をかける。


      「お母さん、よく頑張ったね。頑張った。今までありがとうね。」


      こうゆう時、泣き崩れたりするのかと思ったけど、私の冷静さはまだ続いていて、親戚が見守る中、これ以上何を話せばいいか分からなくて、とにかく手を握り続けた。


      「かっちゃん!かっちゃん!」

      叔母が泣き崩れる。


      父も泣いている。


      「お母さんの手がだんだん冷たくなっているよ。」


      周りの様子を冷静に観察している私



      その時、母と目が合った。



      母はもう何も見えてないと言われたが、あの時、母は私を見てその後父を見た様な気がした。


      死ぬ間際なんて、本人しか知らない。


      見えてるか見えてないかも本人しか知らない。


      でも、母はきっと声も聞こえて、目も見えていたんだと思う。


      だから今少し後悔している。あの時もっと話かけてあげればよかったと。





      母は最後の力を振り絞って、私と父を見たんだ。


      たった3人の家族で、何をするのも一緒。


      喧嘩もたくさんしたけど、仲が良くて、どこへ行くのも一緒だった。


      私は結婚して家を出てしまったけど、それでも母の癌を父と支え続けた。


      父と母と私の絆はとても強かったから、母は私と父を目に焼き付けたんだと


      そう思う。




      母の呼吸が次第に浅くなり、心臓が止まる。


      ピーーーーーーー


      先生が来て、脈と目を確認して


      「ご臨終です。」


      と、告げる。



      私は母の姿をじっと見つめた。


      誰も声を出さず、とても静かな臨終だった。





      お母さん、ありがとう。




      心の中でつぶやく。


      それからは、葬儀屋に電話をしたり

      葬儀の事を父と話したりで、バタバタして

      ゆっくり悲しんだりする事は当分なかった。




      約4年の闘病生活を終え

      母はやすらかな眠りについた


      癌とは本当に恐ろしい病で

      生きながらに地獄を味わい、そしてじわじわと死においやっていく


      母を傍で見守っていて

      その恐ろしさを知り、同時に健康であること、未来があることがどれだけすばらしいことかを知った


      だからこそ、一日一日を大切に過ごさなければいけないと思う

      親の死は子供に最後に教えること、と言われる。

      私は母の死から未来があることの大切さを教わった。


      これからはそのことを自分の子供達にも教えてあげたい。



      一日一日を大切に生きるということを





      おわり



      「母の記録」を終え、このブログ『すばらしき日々』を終わりにしたいと思います(^^)

      すごく不思議なんだけど


      母が私に教えてくれたことと、このブログのタイトルが最後に繋がった!


      何だか運命的なものを感じる(大げさ)


      約6年ぐらい?続けたこのブログを手放すのはとても寂しいけど、心機一転、新しいブログを立ち上げました。

      長い間、訪れてくれた方々(いないか)ありがとうございました!

      ★このブログはこのまま見れる様にしておきます。


      男の子2人、育ててます(^^;)←new!!是非遊びに来てください(^^)
      category:★母のこと | by:あひるcomments(0) | - | -

      母の記録14

      2012.03.27 Tuesday 00:29
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        癌性リンパ管症

        芸能人だと、忌野清志郎が亡くなった病名だ。

        簡単に説明すると、肺の中の水分を外に送り出すリンパという管が癌により塞がれてしまい、外に排出されない水がどんどん肺に溜まっていき、呼吸困難に陥る病気だ。

        癌性リンパ管症に一度なってしまうと、治る事はないという。急速に症状が悪化し、あっという間に死に至るという恐ろしい病気

        この病気にはステロイドが効くが、それは一時的なものでしかなく、効かなくなればそれでおしまい


        母は、この恐ろしい病気になってしまったのだ。
        これから回復していく、なんて希望は始めからなかった。

        発祥から半年の余命。

        今考えると、母の乾いた咳が始まったあの時から容態が悪化するまで約半年。
        もう大分前から、母の命のカウントダウンは始まっていたのだ。


        母がマンションにまだいた頃、私は赤ちゃんの為にぬいぐるみを縫っていた。
        よく母と話をしながら。

        「あんたは器用だからね。私はそーゆう細かい作業はできないわ。」

        母は私にそう言ってくれた。私はぬいぐるみが完成したら母に見せようと思っていたから、母が入院してから毎日こつこつ縫い続け

        なんとか母に見せる事ができた。
        入院している母に息子の写真と共に持って行くと

        「かわいいねぇ。」
        ととても喜んでくれた。

        病院の食事はほとんど食べられなくて、唯一アイスクリームとゼリーだけは口に入れる事ができたので、私は毎日母の元へ食べさせにいった。

        自分で食べる事もできず、食べさせようと酸素マスクを外すと、血中酸素濃度がすぐに下がってしまう。
        歩く事もできず、たくさんの管に繋がれた母。

        「赤ちゃんもうじきだから、頑張ってよ。」

        そう言うと、いつもなら頑張ると言っていた母だったが、何も言ってくれなかった。



        苦しみが日に日に増していく。

        たわいない会話ができなくなっていった。



        苦しくて毎晩眠れず、苛立ちがつのり、言ってる事が分からなくなっていく。



        そしてモルヒネを使う事になる。



        「廊下に、あんた達がいてずっと何か話してるの。」

        母が変な夢を見出す。

        「女の子がずっと追いかけてくる。」

        不気味な、何かを暗示しているかのような夢。




        入院から何日目だったか、ついに母の気持ちが折れた。

        「もう嫌だ。早くおばあちゃん迎えに来て!!」

        酸素マスクを外してしまったり、お見舞いに来た者に当たり散らす。




        薬の量を増やす。

        会話が全くできなくなった。



        眠っている母の姿を見に、毎日病院へ行く。

        お見舞いに行く時間は薬の量を減らしてもらい、会話ができるようにしてもらったが、母が目を覚ます事はなかった。


        意識レベルの低下。

        もう薬をほとんど入れなくても母は眠った状態になってしまっていた。


        穏やかに眠った母の姿を見に行くのは

        思っていた以上に辛かった。

        意識はなくても、まだ生きていてくれる、父はそれでいいと言っていたが

        毎日、目覚める事のない母に話しかけるのは

        辛かった。






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        母の記録13

        2012.03.26 Monday 23:53
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          すぐに支度をして病院へ向かった。
          病室には既に親戚が集まっていて、みんなで母を元気付けていた。

          母の容態は悪く、血中酸素濃度が70まで下がってしまっていた。(正常値は98〜100)
          酸素を最大の10入れても血中酸素濃度が上がらない為、このままだと呼吸困難で危ないという事で呼ばれたのだ。

          母はまだ意識があったが、相当苦しそうで
          「苦しい。苦しい。」
          と常に叫んでいた。

          みんなが涙ながらに「頑張って」とか「足をもんであげようか?」とか
          母を労っていて
          そんな姿を見ていたら、不思議と冷静になっていく私が居て
          みんなにこんなによくしてもらえて、母は幸せだなぁとボンヤリ思った。

          「今晩が山です。かなり苦しいと思うので、睡眠剤を使います。その場合もう話ができるのは今だけかと。」

          眠りながら、逝ってしまうということか。
          母ともっと話したかったが、「苦しい」と言い続けている母と話す事なんてできず
          とにかく今は母の苦しみをとってあげることが先決だったので

          「お願いします。」

          そう決断した。

          薬を入れると、母はすぐに眠りにつき話をする事はできなくなった。
          母の傍についていたかったが、息子もいたし妊娠中だったので駆けつけてくれた旦那と共に私はマンションに帰った。

          もしかしたら、これで生きている母と会うのは最期かもしれない。そう思いつつ。

          だけど父だけは母の傍に残った。
          頑固で、強い父が泣いていた。

          高齢だし、マンションに戻ったほうがいいと周りは言ったが

          父は残ると言い張った。

          そんな父の姿がすごく印象的だ。
          普段はあまり感じた事はなかったけど、父と母の絆は強かったんだな。

          眠れぬ夜を過ごし

          翌日、親戚から母の容態が回復しているとの連絡がきた。
          朝一番で様子を見に病院へ行ってくれたのだ。

          良かった。

          心からそう思った。

          病院に行くと、母は目覚めていた。
          少し苦しそうだったが、話す事ができた。

          先生からステロイドが効いたと伝えられた。呼吸も以前よりは安定しているし、血中酸素濃度は92〜95ぐらいをフラフラしていた。

          「お母さん、良かったね。薬が効いたんだよ。」

          「でもまだ苦しいね。」

          かすれた声でそうつぶやく母。でも、こうしてまた母と言葉を交わす事ができたのだ。

          私は、保育園に行った息子の事やお腹の赤ちゃんの事など、病気とは関係ない話をして一時家に戻った。
          母はこれから回復していくと信じて。

          しかし、その考えは甘かった。
          癌性リンパ管症という病気の本当の恐ろしさを知らなかった。
          もしもその病気をネットで詳しく調べていたら、母がこれからどうなるかをあらかじめ予想しもっと、もっと深い話をする事ができたのに。

          その時は、そのステロイドという薬で完治するのだと信じきっていたから。

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          母の記録12

          2012.03.21 Wednesday 14:39
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            JUGEMテーマ:家庭


            母の咳が、一晩中続いた。

            痰がからむ、酷い咳だった。

            息子が少し咳をしていたので

            母にうつってしまい肺炎になったんじゃないか?

            肺にがんがある母にとって、肺炎になるのは命とり。そのことが心配で眠れなかった。

            翌日、母の顔は血の気のない真っ青な顔になっていた。息も苦しそうでフラフラしている。

            朝食を作っていた私はその姿を見るなり

            「お母さん、救急車呼ぼうか?」

            母は力なく頷いた。

            父はどうしてよいか分からない様子でオロオロしていた。

            救急車を呼ぶと、10分程で到着。母は何とか自分の足で玄関まででてきたが、救急隊がその姿を見るなり

            「歩かせないで!すぐに担架で運びます」

            母の容態は私達が思っていた以上に悪かったのだ。

            父と私そして息子も救急車に乗り今までかかっていた病院へと向かった。


            日曜日だったので、病院はとても静かだった。
            私達の様に救急車で運ばれて来た急患の家族が数人椅子に座っている。

            母はすぐさま診察室に運ばれ、私達は他の家族同様椅子に座ってただ待つ事しかできなかった。

            待っている間に母の妹である叔母に電話をかける。
            叔母は大急ぎで病院にかけつけてくれた。

            「かっちゃんどうなの!?」
            今にも泣きそうな顔で病院に着いた叔母。

            「今検査中。咳が酷くて。もしかしたら肺炎かもしれない。」

            暫く叔母と話していると、母が別の検査の為病室から運ばれていった。それと同時に先生に呼ばれる。

            今までの主治医ではなく、若くてちょっと冷たそうな先生。

            「CTの結果、肝臓の癌がかなり大きくなっています。でも今問題なのは肺です。」

            「肺炎ですか!?」

            「肺炎の可能性もありますが、癌性リンパ管症かもしれません。これから肺炎の薬を使いますが、それでよくならなければ、癌性リンパ管症の可能性が高くなります。」

            その時は肺炎のことばかり頭にあった為、肺炎の治療をしてもらえれば母はまた良くなると信じていた。だから入院する事ができて、肺炎の治療もしてもらえると思うと少しホッとしていた。

            それは私だけでなく、父も叔母も入院=病院で何らかの治療を受けられる

            ということでみんなホッとしていたのだ。

            「良かった。またよくなればクリニックの治療も受ける事ができるし。」

            「肝臓癌がかなり大きくなってるって。」

            「早く抗がん剤で抑えないと。」

            入院の手続きをし、その日はマンションに帰った。



            しかし、母の咳は肺炎ではなかった。




            翌日の早朝、病院から電話がかかってくる。

            「先生からお話があるので、午前中病院に来てください。」

            もともと病院に行く予定だったが、こんな早く病院の方から連絡がくるなんて思わなかったので急に不安になる。

            私達は朝食も食べず、急いで病院に向かう。

            入院病棟の談話室に通され、先生を待った。

            何を言われるのか?

            父と私は一言も言葉を交わさなかった。

            そして昨日の冷たい感じの先生が談話室に入ってくるなり

            「肺炎の薬を使いましたが、容態は全く変わりません。肺炎ではなく癌性リンパ管症の可能性が出てきました。癌性リンパ干渉にはステロイドという薬が効きます。しかしもし癌性リンパ干渉でないと、呼吸困難になる可能性が出てきます。使ってみますか?」

            母の今の状態は薬を使ってみないとわからないという。

            私達は「そのままにはできないので使ってください」と言った。

            「今の主治医から余命にについてはお話がありましたか?」

            「いえ、いい方向に向かっているとしか。」

            「そうですか。お母さんの容態はかなり危険な状態です。できれば今日親族の方や親しかった方を呼んでください。」


            は?


            先生の言っている意味が分からなかった。

            親族や親しい方って。

            ドラマの様な展開にショックを受けるというより唖然としてしまった。

            現実味を帯びてなくて、それからは先生の話をウワの空で聞いていた気がする。


            母の様子を見に行ったが、酸素吸入をしているが今のところスヤスヤと眠っていたので母が危ないとは思えなかった。でも、とりあえず叔母に電話し、親戚にもお見舞いに来てもらうことになった。

            「大丈夫だよ。そのステロイドって薬で良くなるよ。」

            叔母にそう言われ、誰もが母の様子を見てきっと良くなると信じていた。

            地に足がついてないようにボンヤリしながらマンションに戻り、父と息子のご飯を作りとその日はいつも通りの日常を過ごしていた。母がいないことだけを除いて

            そして夜10時頃、再び病院から電話がくる。


            「容態が急変しました。今すぐ来てください。できれば親族の方も。」

            急に現実に戻された。

            考えないようにしていた事が、迫ってきたと感じ

            「お母さんもう駄目かも。」

            私は泣き崩れた。


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            母の記録11

            2012.03.18 Sunday 00:31
            0
              一時収まっていた咳が夜中になると酷くなる。

              熱もなかなか下がりづらく、解熱剤を飲むとボンヤリしてベッドから出られない日々が続いた。

              クリニックにはかろうじて毎週行く事ができていたが

              その日は朝から具合が悪そうで

              でも、クリニックに行けば少しは回復すると期待し

              母は父とクリニックへ向かった。


              私はきっと母は少し元気になって戻ってくるだろうと思っていたから母が大変なことになっているとは思いもよらなかった。

              いつもならクリニックの最寄り駅に着くと母が電話をくれるのだが、その日はこちらからかけても繋がらない。

              おかしいな?とは思ったがとりあえず連絡を待つことに。

              そして昼過ぎぐらいに着信。

              「もしもし、着いた?お昼食べてるの?」

              「それどこじゃないんだよ。お母さんが電車を降りた途端、息ができないって言って動けなくなっちゃったんだ。」

              父の話によると、電車に乗っている時はいつも通りだった母が、駅について歩き出した途端に息が苦しいと言い出しそこから一歩も歩くことができなくなったという。駅員さんが椅子を持って来てくれて、暫くそこに座っていたのだがクリニックの時間がせまっていた為、連絡したところ、スタッフが車椅子で母を迎えに来てくれたらしい。

              「お母さんは今治療を受けている。家に帰れるか心配だ。」



              それから2時間程して、クリニックの先生から電話がかかってきた。

              母の容態は悪く、抗がん剤は中止したという。
              息が苦しいというので、酸素吸入をしてこれから家に帰ることになった。
              だが、先生はもしも電車で容態が急変したらと思うと、家にに帰していいものか悩んでいた。

              それもその筈。クリニックから家まで2時間はかかる。

              無事帰れるか、私も心配だ。

              父に電話してその事を聞くと、母は大丈夫だと言う。とにかく家に早く帰りたがっていた。

              それからは、こまめにメールで状態を聞き、私が先生に連絡するということが続く。

              そして2時間半ぐらいたって、父と母がマンションへ戻って来た。
              母は移動用の酸素吸入をしながら。
              酷い姿だった。

              母が家に着いた事を先生に伝えると、かなりホッとした様子だった。

              その日、母は昼から何も食べず寝てしまった。



              翌日、母が何も口にしなかったのでお昼だけでも外食しようと提案し、酸素吸入をしながら父と3人でマンションからすぐ傍にあるレストランへ向かった。

              マンションからそこまでは普通に歩いて5分の場所。
              でも母は、あと少しで着くというところで立ち止まってしまった。

              「息が苦しい。」

              そう言って、次の一歩が踏み出せない。

              いったい何で苦しいのか?
              クリニックでは肺癌の進行はそんなに進んでないと言われていた。

              精神的なものからくるのでは?父も私も母の呼吸困難はそんな風にしか考えられなかった。

              そして何とかレストランに着く事ができ、私達は昼食をとることができた。
              しかし母はでてきたものをほとんど食べる事ができなかった。

              昼食を終え、再び5分のマンションまで30分程かけて帰ると、母はすぐに寝てしまった。


              「このままマンションで生活していたら、お母さんの体がもたない。癌の進行より栄養失調で死んでしまう。」

              父と私は以前の主治医に相談して、母を入院させてもらおうという結論に達した。

              翌日は日曜日。月曜になったら病院に電話し、母を連れて行こうとしていたのだが

              母は翌日救急車で運ばれることになる。
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