母の咳が、一晩中続いた。
痰がからむ、酷い咳だった。
息子が少し咳をしていたので
母にうつってしまい肺炎になったんじゃないか?
肺にがんがある母にとって、肺炎になるのは命とり。そのことが心配で眠れなかった。
翌日、母の顔は血の気のない真っ青な顔になっていた。息も苦しそうでフラフラしている。
朝食を作っていた私はその姿を見るなり
「お母さん、救急車呼ぼうか?」
母は力なく頷いた。
父はどうしてよいか分からない様子でオロオロしていた。
救急車を呼ぶと、10分程で到着。母は何とか自分の足で玄関まででてきたが、救急隊がその姿を見るなり
「歩かせないで!すぐに担架で運びます」
母の容態は私達が思っていた以上に悪かったのだ。
父と私そして息子も救急車に乗り今までかかっていた病院へと向かった。
日曜日だったので、病院はとても静かだった。
私達の様に救急車で運ばれて来た急患の家族が数人椅子に座っている。
母はすぐさま診察室に運ばれ、私達は他の家族同様椅子に座ってただ待つ事しかできなかった。
待っている間に母の妹である叔母に電話をかける。
叔母は大急ぎで病院にかけつけてくれた。
「かっちゃんどうなの!?」
今にも泣きそうな顔で病院に着いた叔母。
「今検査中。咳が酷くて。もしかしたら肺炎かもしれない。」
暫く叔母と話していると、母が別の検査の為病室から運ばれていった。それと同時に先生に呼ばれる。
今までの主治医ではなく、若くてちょっと冷たそうな先生。
「CTの結果、肝臓の癌がかなり大きくなっています。でも今問題なのは肺です。」
「肺炎ですか!?」
「肺炎の可能性もありますが、癌性リンパ管症かもしれません。これから肺炎の薬を使いますが、それでよくならなければ、癌性リンパ管症の可能性が高くなります。」
その時は肺炎のことばかり頭にあった為、肺炎の治療をしてもらえれば母はまた良くなると信じていた。だから入院する事ができて、肺炎の治療もしてもらえると思うと少しホッとしていた。
それは私だけでなく、父も叔母も入院=病院で何らかの治療を受けられる
ということでみんなホッとしていたのだ。
「良かった。またよくなればクリニックの治療も受ける事ができるし。」
「肝臓癌がかなり大きくなってるって。」
「早く抗がん剤で抑えないと。」
入院の手続きをし、その日はマンションに帰った。
しかし、母の咳は肺炎ではなかった。
翌日の早朝、病院から電話がかかってくる。
「先生からお話があるので、午前中病院に来てください。」
もともと病院に行く予定だったが、こんな早く病院の方から連絡がくるなんて思わなかったので急に不安になる。
私達は朝食も食べず、急いで病院に向かう。
入院病棟の談話室に通され、先生を待った。
何を言われるのか?
父と私は一言も言葉を交わさなかった。
そして昨日の冷たい感じの先生が談話室に入ってくるなり
「肺炎の薬を使いましたが、容態は全く変わりません。肺炎ではなく癌性リンパ管症の可能性が出てきました。癌性リンパ干渉にはステロイドという薬が効きます。しかしもし癌性リンパ干渉でないと、呼吸困難になる可能性が出てきます。使ってみますか?」
母の今の状態は薬を使ってみないとわからないという。
私達は「そのままにはできないので使ってください」と言った。
「今の主治医から余命にについてはお話がありましたか?」
「いえ、いい方向に向かっているとしか。」
「そうですか。お母さんの容態はかなり危険な状態です。できれば今日親族の方や親しかった方を呼んでください。」
は?
先生の言っている意味が分からなかった。
親族や親しい方って。
ドラマの様な展開にショックを受けるというより唖然としてしまった。
現実味を帯びてなくて、それからは先生の話をウワの空で聞いていた気がする。
母の様子を見に行ったが、酸素吸入をしているが今のところスヤスヤと眠っていたので母が危ないとは思えなかった。でも、とりあえず叔母に電話し、親戚にもお見舞いに来てもらうことになった。
「大丈夫だよ。そのステロイドって薬で良くなるよ。」
叔母にそう言われ、誰もが母の様子を見てきっと良くなると信じていた。
地に足がついてないようにボンヤリしながらマンションに戻り、父と息子のご飯を作りとその日はいつも通りの日常を過ごしていた。母がいないことだけを除いて
そして夜10時頃、再び病院から電話がくる。
「容態が急変しました。今すぐ来てください。できれば親族の方も。」
急に現実に戻された。
考えないようにしていた事が、迫ってきたと感じ
「お母さんもう駄目かも。」
私は泣き崩れた。